今日はイサムノグチの彫刻「土門さん」も雪の帽子
こんにちは、スタッフKです。今日は急に本格的に雪が積もってびっくりです。いよいよ年も押し迫ってきましたね2019年カレンダーのご用意は終わりましたか?土門拳カレンダー、まだ在庫ありますよ、どうぞお忘れなく。
最近は昔ほどではないにしても、「やっぱり大晦日はみかんにこたつで紅白でしょう」という方もまだまだ多いでしょう。先日当館のスタッフが土門拳について調べていたら、1961(昭和36年)年12月31日NHK紅白歌合戦の審査員に土門拳の名前が!いや~、びっくり、これは知らなかったな~。
土門拳は1959年の暮れに九州筑豊で「筑豊のこどもたち」を撮影しました。撮影後軽い脳出血で倒れ、病床で編集者と筆談で進め2か月で完成した定価100円写真集「筑豊のこどもたち」は60年1月に刊行され、学生層、労働者たちから日本中に広がり10万部を超すベストセラーとなりました。また同年11月、映画「筑豊のこどもたち」が封切られ、続編の「るみえちゃんはお父さんが死んだ」も出版。昭和36年には土門拳は日本中誰もが知る存在だったのでしょう。
この第12回紅白歌合戦の他の審査員は、仲代達矢、大鵬幸喜、勅使河原霞(草月家元)、森光子といった方々です。出場歌手はトップが朝丘雪路。雪村いずみ、村田英雄、こまどり姉妹、江利チエミ、フランク永井、美空ひばり、橋幸夫、森重久彌、ザ・ピーナッツ、淡谷のり子、坂本九、などの面々が続き、トリは島倉千代子と三波春夫。いやいや、ホント昭和ど真ん中だわ。(って、全部顔がわかる私のトシが皆さん想像できますね)
今から30年ほど前に、仲代達矢さんが数回土門拳記念館にいらしてくださったことがあります。ドキドキしながら握手していただきました。その時この紅白のことを知っていたら、当時のことを覚えていたか聞けたのにな~、残念。