祈りの古代ハス。今年3個目の蕾が、明朝は咲くかな?
こんにちは、スタッフKです。
「あっちぇの~(庄内弁で暑いですね)」が挨拶となって、かなりたちました。いったいいつになったら雨が降るんでしょう。当館日誌によれば、7月12日〈曇り時々雨〉でちょっと降って以来、酒田に雨は全然降っていません。中尊寺から株分けしていただいた古代ハスの花も鉢への水やりが大変。当館の庭「流れ」の笹や木も、入口付近の芝も、もう悲鳴を上げています。猛暑と言っても酒田は他地域よりはまし。でも「少しは雨降ってよ~、但し豪雨はやめてね」と、天に祈っている今日この頃です。
さて、当館では現在、土門拳二大ドキュメント「筑豊のこどもたち」と「生きているヒロシマ」を展示中です(10月1日まで)。土門は昭和32年、そしてさらに10年後の昭和43年に「ヒロシマ」を撮影し発表しました。原爆投下12年後に初めて広島の地を踏んだ土門の言葉があります。
「ぼくは、広島に行って、驚いた。これはいけない、と狼狽した。ぼくなどは『ヒロシマ』を忘れていたというより、実ははじめから何も知ってはいなかったのだ。今日もなお、『ヒロシマ』は生きていた。それをぼくたちは知らなすぎた。いや正確には、知らされなさすぎたのである。」1958年研光社刊「ヒロシマ」はじめに (部分抜粋)
作品の中には正視が苦しい写真もあります。しかし、見なければいけない、感じなければいけない、死んだ人生きる人の現実・思いを想像しなければいけない、と自分の尻を叩きます。戦後73年たった現在も「ヒロシマ」は続いています。そして、広島だけではなく、長崎も、福島も、沖縄も、さらに……。私たちは「知らない」「感じない」罪をもっと自覚すべきだと、土門の写真を見て、考えさせられるのです。