浅草 六区(1936)
東京上野の営業写真館の門下生として働いていた土門拳は、昭和10(1935)年11月、名取洋之助主宰の日本工房に入社し、報道写真家としての道を歩き始めました。
日本工房では、対外宣伝用の季刊グラフ誌『NIPPON』を中心に、日本の文化などを海外へ紹介する写真を撮影しています。
伊豆や浅草、日本赤十字看護婦養成所、農村や東京の街、日本海軍や出征風景など、人々や風物を活写。
続く国際文化振興会時代(昭和14年〜18年)と合わせて、戦時体制がひたひたと押し寄せる中にありながら、日本の風土や文化に強く惹かれていきました。
日本工房では、対外宣伝用の季刊グラフ誌『NIPPON』を中心に、日本の文化などを海外へ紹介する写真を撮影しています。
伊豆や浅草、日本赤十字看護婦養成所、農村や東京の街、日本海軍や出征風景など、人々や風物を活写。
続く国際文化振興会時代(昭和14年〜18年)と合わせて、戦時体制がひたひたと押し寄せる中にありながら、日本の風土や文化に強く惹かれていきました。
若い看護婦(1938)
七五三(1935)