銀座4丁目交差点(1946)
戦後、フリーで本格的な写真活動に踏み出した土門拳は、昭和25(1950)年、雑誌『カメラ』の月例写真審査員となり、アマチュア写真の指導を始めます。
「カメラとモチーフの直結」「絶対非演出の絶対スナップ」など、誌上でリアリズム写真を提唱。時代と社会、芸術と文化、写真家とは何かを情熱的に論じ、写真界に大きなブームと論議を巻き起こしました。
その後も復興期の庶民の姿や、基地問題の内灘・砂川(現立川)、安保闘争、第二次羽田闘争など、政治的・社会的現実に鋭い目を向け、独自のリアリズム写真を確立していきました。
「カメラとモチーフの直結」「絶対非演出の絶対スナップ」など、誌上でリアリズム写真を提唱。時代と社会、芸術と文化、写真家とは何かを情熱的に論じ、写真界に大きなブームと論議を巻き起こしました。
その後も復興期の庶民の姿や、基地問題の内灘・砂川(現立川)、安保闘争、第二次羽田闘争など、政治的・社会的現実に鋭い目を向け、独自のリアリズム写真を確立していきました。
第二次羽田闘争 機動隊の封鎖(1967)
焼芋泥棒(1950)