平等院鳳凰堂夕焼け(1961)
『古寺巡礼』(美術出版社)は、昭和38(1963)年に第1集が刊行され、昭和40年に第2集、43年に第3集、46年に第4集、そして昭和50年の第5集刊行で完結しています。
しかし、土門拳の古寺巡礼自体は、昭和14(1939)年に室生寺を初めて訪れ、その翌年に広隆寺と中宮寺の弥勒菩薩を撮ったところから始まり、昭和53(1978)年3月、待望久しかった雪の室生寺の撮影で終わっています。
薬師寺の高田好胤氏はその姿を「撮影の亡者」と言い、神護寺の谷内乾岳氏は「土門拳の指が動く瞬間に発せられる気合は、正に武道の達人が発する気合そのもの」と言います。
全国各地、百か所以上のお寺を巡ること、実に40年あまり。途中、病で車椅子の身となりながらも、古寺や仏像を心血注いで撮り続けた、文字通りのライフワークです。
しかし、土門拳の古寺巡礼自体は、昭和14(1939)年に室生寺を初めて訪れ、その翌年に広隆寺と中宮寺の弥勒菩薩を撮ったところから始まり、昭和53(1978)年3月、待望久しかった雪の室生寺の撮影で終わっています。
薬師寺の高田好胤氏はその姿を「撮影の亡者」と言い、神護寺の谷内乾岳氏は「土門拳の指が動く瞬間に発せられる気合は、正に武道の達人が発する気合そのもの」と言います。
全国各地、百か所以上のお寺を巡ること、実に40年あまり。途中、病で車椅子の身となりながらも、古寺や仏像を心血注いで撮り続けた、文字通りのライフワークです。
室生寺弥勒堂釈迦如来坐像左半面相(1966頃)
室生寺雪の鎧坂金堂見上げ(1978)