原爆ドームと元安川(1957)
昭和32(1957)年、原爆投下から12年を経て初めて広島に行った土門拳は、その実態をまのあたりにし、あらためて原爆被害の深刻さに衝撃を受けました。
報道写真家としての使命感に強く駆られ、広島に通い詰めた土門は、原爆病院の患者たちをはじめ、被爆者たちの悲惨な日々、「魔の爪跡」を約7,800コマのフィルムに記録しています。
写真集『ヒロシマ』(研光社)は、昭和33(1958)年刊行され、日本はもとより、広く海外でも反響を呼びました。
また、さらに10年後、広島を再訪し、後遺症に苦しむ被爆者を追った『憎悪と失意の日日−ヒロシマはつづいている』を発表。土門拳のドキュメントの傑作となっています。
報道写真家としての使命感に強く駆られ、広島に通い詰めた土門は、原爆病院の患者たちをはじめ、被爆者たちの悲惨な日々、「魔の爪跡」を約7,800コマのフィルムに記録しています。
写真集『ヒロシマ』(研光社)は、昭和33(1958)年刊行され、日本はもとより、広く海外でも反響を呼びました。
また、さらに10年後、広島を再訪し、後遺症に苦しむ被爆者を追った『憎悪と失意の日日−ヒロシマはつづいている』を発表。土門拳のドキュメントの傑作となっています。
被爆者同士の結婚(1957)
少年(1957)